こんにちは、SAKUです。
休暇中、久しぶりに本屋さんに行きました。
棚を眺めドキュメントやノンフィクションなどで面白そうなタイトルを探すのが好きでして。
その隣の棚には、投資本や自己啓発本が並んでいます。
「おっ!」と思わせるタイトルの本を手に取り、目次に目を走らせます。
ですが「…今まで読んできた本と、あんまり中身は変わんないんだなぁ」と感じました。
今も昔も、読者が悩み求めていることは変わらない、ということなのでしょう。
今回は、年齢を重ねるにつれ強くなってきた思いを書いてみます。
「足るを知る」とは、欲を捨てることではない。
「諦める」とは、その可能性を閉じること。
そして、その間にあるのが「無知の知」なのだと思う。
私は最近、そんなふうに考えています。
「もう十分だ」と思えることと「どうせ無理だ」と諦めることは、
似ているようで全く違うんです。
「足るを知る」…簡単な例でいうと「お金」でしょうか。
「老後のために、何かあった時のために、もっと資産を増やさなければ」
そう考え続けていると、いくら増えても安心できません。
一方で、「自分と家族にとって、これくらいあれば十分だ」
と考えられるなら、それ以上を追わない選択もできます。
これは諦めではありません。
自分にとっての「十分」を決めたということです。
投資では、もう一つ別の考え方が必要だと思います。
「この株は絶対に上がる」と言い切ることもできなければ、
「自分には分からないから、投資なんて無理だ」と決めつける必要もない。
そこで思い出すのが「無知の知」です。
自分には分からないことがある。
そう認めるからこそ、調べる。
分からなければ、痛くない程度の少額で、まずはやってみる。
それでも分からなければ、買わない。
「分からない」は、必ずしも諦める理由ではありません。
むしろ、慎重に進むための出発点と考えては如何でしょうか。
私の年齢についても同じです。
「もう54歳だから、新しいことを始めても遅い」
そう決めてしまえば、そこで終わっちゃうんです。
でも、「54歳になっても、まだ知らないことがたくさんある」
となれば、少し違って見えてくるのかな、と思います。
このブログだってそうです。
文章を書くことも、WordPressも、最初から知っていたわけではありません。
分からないから調べ、失敗したら直し、また分からないことが出てきて…。
私は、人生の後半も大方が過ぎ「何でも手に入れたい」とは思いません。
でも「もう遅い」と自分で可能性を閉じるつもりもありません。
足るを知る。
無知を知る。
そして、諦めるものと、まだ進むものを自分で選ぶ。
まずは、そこからだと思います。
人生は、全部を手に入れられないし、その必要もない。
やっぱり、人生って短すぎるんです。
けれど「知らないから」という理由だけで、最初から諦める必要もない。
これからも、そんな具合に自分の中で折り合いをつけていこう、と思います。
今回もご覧くださり、ありがとうございました。
もう十分。でも、まだ知らない。

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